モンハン小説 『碧空の証』 #15
小鳥のさえずりが鼓膜を微かに震えさせ、天井の木目が次第に鮮明になる視界に映った。
ベッド上で伸びをすると、レオンは上体を起こした。
(そういえば……ソラの家に泊まってたんだったな)
髪を掻きむしりながら、彼は床に降り立つ。
引き戸を開けると、ソラの母の後ろ姿が目に入った。トントン、という包丁の音がする。朝食の準備をしているのだろう。
「おはようございます」
レオンが挨拶をすると、彼女は手を止め、振り向いた。
「あら、おはよう」
「……あの、ソラは、まだ起きてないんですか?」
「えぇ。いつも、起きるのが遅いのよ。だから、リクが起こしにいくの」溜め息混じりの声で、母は言う。「たまには、早起きしてほしいわね」
「あ、なら、起こしてきましょうか?」
「あら、いいの?……なら、お願いしようかしら。ソラの部屋は、階段を上がって左の部屋よ」
「わかりました」
レオンは身を翻し、階段へ向かう。
2階へ上がると、戸が二つあった。レオンは、小さな花が生けられている左側の戸に手を掛け、そろそろと開けた。
6畳ほどのソラの部屋は、彼女の父の部屋と同様、ベッドと机で構成されていた。
部屋に足を踏み入れたとき、床上で丸まっているナナの耳がピクリと動いたが、レオンは特に気に留めず、忍び足でソラの寝床へ近付いていった。
彼は、枕元を覗く。すぅすぅと寝息を立てる彼女の寝顔が確認できたとき、彼はどきりとした。
……なんだろう。可愛い。
閉じられた瞼から伸びる長い睫毛《まつげ》や淡紅色の唇を携える、いたいけな容貌――。
彼の手は、無意識のうちに、彼女のその柔らかそうな頬へと吸い寄せられていた。
這い寄るように手を動かすなか、彼の鼓動は最高潮まで達していく。
そして、侵略者が、柔肌に侵攻を開始してゆく……
「――何、してんの」
その寸前で、背後より突き刺さる、暗殺者の声。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!?」
レオンが慌てて見返ると、腕組みをした|黒猫《ナナ》の姿があった。気配を殺して背後に立つ彼女の能力には、いつも驚かされる。
「……お、起きてたのか」
「質問の答えになってないわよ。何してたのよ」
「い、いや……ソ、ソラを、起こそうとしてたんだよ」
「ふぅーん……」ひどく狼狽するレオンを、ナナは睨み上げた。「その割には、ひどく動揺してるわね」
「そ、それは、急に後ろから声を掛けるから……」
「ホントに、そんな理由かしら?……変なことでも考えてたんじゃないの?」
「そ──」
そんなわけないだろ、という言葉を、レオンは呑み込んだ。全てを見透かされているような眼差しを注がれてしまっては、反論する気力すら失ってしまう。
「……確かに、そういうことをしたがるのが、オトコの性《さが》だ、っていうのはあたしにもわかるわ。でも、まぁ……自分に素直になってみるってのも、ありかもしれないわね」
「……?」
レオンが呆けた表情で立ち尽くしていると、ごそごそ、という音が背後から聞こえた。振り向くと、ソラが目を醒ましていた。
「あれ……。おはよう……」
「あ、お、起きたか。……朝飯、そろそろできるって」
「うん……わかった」目を擦りながら、ソラは床に足を付けると、少しおぼつかない足取りで、部屋を出た。レオンとナナも彼女の後を追い、|階下《した》へ移動した。
*
朝食を食べ終え、武器と防具を装着し家を出たレオン、ソラ、ナナ、タイガの4人は、村人の依頼を受けるべく、村長の元へ向かっていた。
例によって、村長は派手な着物を纏い、腰掛けに座っていた。
「おはようございます!!」ソラが威勢のある声で挨拶をする。レオン達は、会釈をした。
「あらあら、朝から元気ですわね」
「村長、新しい依頼、来ていないですか?」
やる気の窺える、弾んだ声でソラが訊いた。
「そうですわね……」村長は、懐から数枚の紙を取り出した。「今は、このような依頼が届いておりますの」
村長が手に持っているのは、依頼書だ。依頼書には、依頼内容、依頼主、報酬などの情報が書き込まれている。
この依頼書を通じて、引受人《ハンター》は依頼主《クライアント》と契約を結び、契約金を支払うこととなる。依頼を無事達成すれば、依頼主からの報酬と、契約金の倍の金額が得られる。依頼をこなせなければ、当然のことながら、報酬は得られない。
ソラは少し考え込んでから、依頼を選んだ。
「こちらは、契約金が必要ないものですわね。では、署名をしてくださる?」
村長が差し渡した依頼書に、ソラはペンを走らせた。
「これって、レオンも名前を書いた方がいいのかな?」
「ギルドの規定では、二人以上で依頼を受ける場合、同行者もサインをすることになっておりますわ」
「んじゃ、はい」ソラがレオンにペンを渡す。彼は、自身の名前を記した。
「では、お気をつけて……」村長は、深くお辞儀をした。いつもながら、彼女のその行動のひとつひとつに気品があり、高貴さを感じられる。
「何の依頼を受けたんだ?」
レオンがソラに訊くと、彼女は依頼書に目を遣った。
「え、えぇと……、『黄金魚2匹の納品』……だね」
【黄金魚】は、黄金色の鱗を持ち、独特の輝きを放つ魚だ。観賞用としての需要が高いだけでなく、味も天下一品のものであり、市場では高値で取引がなされる。
「黄金魚を獲るなら、釣具が必要だな」
「……あ、そ、そうだね」
戸惑ったような言い方に違和感を覚えたレオンは、訊いてみた。
「もしかして、釣りは初めて?」
ソラは小さく頷き、
「小さいとき、お父さんの釣りに付いていったことがあるくらいなんだけど……」
「多分、大丈夫だとは思うけどな。それで、釣具はある?」
「うん。確か、家にあったはずだよ」ソラは踵を返して、「取ってくる!」と、自宅の方へ駆けていった。
数分後、彼女は竹竿を肩に担ぎ、魚籠《びく》を腰に提げて戻ってきた。
「こんなもの……かな?」
「うん。餌は向こうで調達できそうだし、大丈夫だろう」
「よーし、じゃあ、行こーっ!!」
威勢のいいソラの掛け声が引き金となり、彼らは渓流へ走った。
渓流、ベースキャンプ──。
「さて……」レオンが切り出す。「まずは、黄金魚が居そうな水辺を探さないとな」
「なら、昨日の……あの、川が流れてるエリア。あそこがいいんじゃないかな?」
ソラが提案するのは、昨日、回復薬の調合に用いる水を採取するために寄ったエリアだ。
「確かに、あそこなら良い釣り場がありそうだな」
「エリア6だったわよね」ナナがポーチから地図を取り出し、確認する。
「じゃ、エリア6に着いたら、魚が居そうな釣り場を探すぞ」
顔を見合せ首肯すると、彼らは一斉に駆けた。
珍しくモンスターの居なかったエリア1、ごつごつとした岩場のエリア2を通り抜け、彼らは目的の場所へと向かった。
エリア6――。
岩の屋根から流水の簾《すだれ》が掛かり、その落水が、美しい清流を成している。
そして、現在は危害を加えてきそうなモンスターは居らず、鮮苔《せんたい》に覆われた岩や深い林に囲まれたこの領域内は、水の《ささや》きだけが支配していた。
「釣り場を見つけても、大声は出すなよ。驚いた魚が、身を隠すからな」
「うん、わかった」
「ニャ」
レオンとナナは、川に沿って下流方向へと歩きながら、魚と釣り場を探す。
ソラとタイガは、川面《かわも》から出っ張った石の上を、跳ねるように渡って対岸へ行き、捜索を開始した。――するとすぐ、苔の生えた岩場から流れる滝の真下に、小さな滝壺を見つけた。陰になっているので、魚も沢山《たくさん》集まっていそうだ。
大声を出せないので、ソラは釣竿を振り回し、遠く離れた向かい岸のレオン達に合図を送った。合図を確認した彼らは、川を渡り、彼女達の元へ駆け寄る。
「ほら、ここ。いいんじゃないかな?」ソラは、澄んだ水面を指差して言った。
「おっ。良いトコじゃないか」
「それじゃ、早速……」
ソラは、釣竿を振りかざそうとするが、レオンに手で制された。
「ん?」
「狩りと釣りに、焦りは禁物ってな。まずは、魚を誘き寄せる餌が必要だろう?」
「そ、そっか」
「釣りのときの餌は、主に【釣りミミズ】を使うんだ」
釣りミミズは、釣り餌の一つである。畑や狩場《フィールド》など、広く生息しているため、汎用の釣り餌となっている。
黄金魚を釣るときは、【黄金ダンゴ】という、黄金魚のみを誘い出す練り餌を用いると効率が良い。しかし、調合材料を集めるのが少なからず面倒であるため、今回は釣りミミズを使用することにした。
「あとは、入れ食い《フィーバー》を狙いやすい【釣りフィーバエ】とか、餌に関してはいろいろあるけどな」
それを聞いて、ソラの脳内に一つの疑問が浮かんだ。
「……じゃあさ、餌が無いときは、全く釣ることができないの?」
「いや、そんなことはないよ」レオンは、続ける。「そういうときは、ルアーっていう、小魚や虫を模した疑似餌を使うんだ。でも、ルアー釣りのときは、技術がないと魚が食い付いてくれないことが多いから、初心者のうちは餌を使った方が確実だと思う」
「ふむふむ」ソラは、よく分かったというように頷いた。「それじゃ、釣りミミズを探せばいいんだね!」
「そういうこと。さぁ、探すぞ」
「おぉー!!」
「……でも、なんか……探してばっかりだニャ」タイガが愚痴をこぼすので、ソラは唇を尖らせ、「こら。そういうこと言わないの」と、注意した。
「ニャッ!? まさか、ソラにそんなこと言われるなんて、夢にも思わなかったニャ」
「黙らないと、髭、全部抜くよ?」ソラが髭を引っ張るような構えを取るので、タイガはひぃと悲鳴を上げ、手で頬を覆い隠した。「ざ、残忍な手口ニャ……」
「……なんてね」
彼女は微笑んだかと思うと、目つきを真剣なものへと変えた。
「……わたしは、逃げないって決めたんだ。だから、きちんとやり遂げるの……ハンターっていう仕事を。それが、どんなものであったとしても」
その真摯な眼差しは、レオンへと向けられた。
そのとき、レオンの脳裏には、一昨日《おととい》に見た“金の卵”の姿が蘇っていた。……まだ出会って二日だが、彼女の成長ぶりには、目を見張るものがある。これからも、ハンターとして大きく躍進するのではないか──彼はそう思った。
彼はうっすら笑うと、
「よし、なら……少し大きな『石』を探そうか。釣りミミズは、多分その下に居るだろうし」
「うん、わかった」
──目的の石は、すぐ見つかった。釣り場からそう離れていない場所にあった。20センチメートルはありそうな石だ。彼らは転がすようにして、石を退かせる。すると、石の重みで窪んでいた部分から、十数匹ほどの釣りミミズが大量に出現した。
「うわぁ……」
光沢のある、淡紅色の紐が不規則に蠢《うごめ》く光景に、ソラは思わず顔を顰めた。
「結構……居るわね」ナナは、口に手を当てている。
「じゃ、必要な分だけ捕獲しよう」
レオンはしゃがみ込むと、湿った土壌の上でうねるミミズの中から、一匹を掴み取った。
「ほら、ソラも集めて」
彼女は、ぶんぶんと首を振った。「こ、これはちょっと……」
「……でも、これもハンターの仕事なんだ。しっかりやらないと、な?」
なんとも、悪意の籠った口調だった。
「うっ……」
先刻の発言が、自身を窮地に追いやるなど想像もしていなかったソラは、しまったというような顔をする。
「し、仕方無い……か」彼女は小声でそうぼやくと、隣で嘲笑しているタイガに鋭い視線を送った。「もちろん、タイガも集めてくれるよね?」
「ニャッ!?」彼は、蔑《さげす》む笑みから一変、虚を衝《つ》かれたような表情になる。
「男の子だもん、こういうのは大丈夫だよね?」
「ニャ……」
慈悲無き瞳で、タイガはじっと見つめられる。そして、
「ボ、ボクは、見学しておきますニャァァァァッ!!」
逃走を謀る。
「逃がさないわ」
しかし、目にも留まらぬ速さで、ナナに後ろから羽交い締めにされてしまった。
「くっ……。ボクも……ここまでかニャ……」
暴れる気力も無く、タイガはガックリと項垂れた。
そのとき、ソラは、腰を下ろしてミミズ達と睨み合っていた。
「よし……」
決心がついたのか、一度深呼吸をすると、ソラはミミズの海へ手を伸ばす。
「うぅ……」声も、手も震えている。
そして、親指と人差し指で、ミミズを摘まみ上げる。
「う……感触が……変に……ブヨブヨしてるし……動きが……」彼女は口元を歪ませた。
さすがにこのまま持たせておくのは可哀想だ、と思ったレオンは、ポーチから小瓶を取り出して彼女に差し出す。
「ほら、この中にミミズを入れて」
「う、うんっ」
彼女は、ミミズをその中に放り込むように入れた。
「はぁぁ……気持ち悪ぅ……」
「……でも、一匹じゃ、まだまだ足りないな」
ソラは、眉間に皺を寄せた。もうミミズはこりごりだ、と言いいたげな表情だ。
「ま、これも経験だと思えば、いいんじゃないか?」
「い、いじわるだなぁ……レオンは」
渋々といったように、ソラは収集作業を始める。
「ほら、アンタも」ソラを横目で軽く睨みながら、ナナは、羽交い締めにしたままのタイガに言葉を向ける。「……主人がやってるのに、やらないのかしら?」
威圧感のある、脅迫するような言い方で、彼女は促す。だが、彼は無言のままだ。
「はぁ。仕方無いわね」
なんて、度胸のない奴――心の中で毒づきながら、ナナは、タイガの手を強引にミミズの大群の中に突っ込ませる。
途端に、陸に揚げられた魚の様に、タイガの身体がビクンビクンと跳ねた。
「……!! 肉球が……!! 不思議な感覚に……汚染されて……いく……ニャ……」
「……そんな報告は要らないわ。早く集めなさい」
冷酷な、悪魔の笑みを浮かべ、彼女は、掴んだ細い腕をグリグリと捻る。
「ニ、ニャァァァァァァッ!!」
悲鳴と怒号が飛び交う中、ミミズ集めは続いた。
ミミズもそこそこ集まったところで、彼らは釣り場へ戻る。タイガは先程の作業の影響で気絶してしまったために、ナナに尻尾を引き摺られ、やってきた。
「よーし、次は、釣り針に餌をつける作業だ」
軽い口調でレオンが言うと、ソラはげんなりした。
「も、もうミミズを見るのも触るのも嫌なんだけど……」
「そんなことを言ってるようじゃ、この依頼は失敗だな」
ソラは、「そ、それも嫌だ……」と、首を振った。
「――なら、やるぞ」
レオンは、釣りミミズを集めた小瓶を取り出す。そして、手を差し出すようソラに指示を出すと、彼女の掌《てのひら》に1匹のミミズを置いた。
そして、彼女は、白銀の釣り針を、うねる浅紅色の生物の胴体にぶっ刺した。
弾力のあるその身体に針を突き刺すその感触は、ガーグァの肉を抉ったときの気持ち悪さを|彷彿《ほうふつ》とさせた。さらに、ミミズの動きも加わり、その気持ち悪さは増幅されている。
「う、うわぁ……。も、物凄く気持ち悪い……」
そう呟きながらも、ソラは手を動かすことに集中する。
「はぁ……」
やっとのことで餌を付け終えたソラは、呆けた顔で一息吐いた。
いろいろと弄《いじ》くりまわされたせいで、ミミズは息も絶え絶えだった。
「餌も、活きのいい状態が一番良いんだけどな……」
はは、とレオンは薄笑いを浮かべる。
「案外、不器用なんだな?」
「……次は、もうちょっと努力するよ」ソラは少し頬を膨らませたが、すぐに引っ込めて、「でも、やっと釣れるね!」
「あぁ、そうだな。早速、釣っていこう」
ソラは、右手に竹竿の柄を、左手に|道糸《みちいと》を掴むと、水際に立った。
「その辺りに、静かに落とす感じでな」
「うん」
釣竿を少し振って、釣り針を水中に落とす。橙色のウキが着水すると、滝壺に波紋が広がった。
「あとは、魚が食い付くのを待つだけだな」
ソラは、波打つ水面《みなも》を見つめ、「黄金魚……早く来い!!」と意気込んだ。
そして、魚が餌に食らい付くのを待つ。
自身の影が次第に短くなっていくが、魚の掛かる気配は全く無かった。
「釣れないなぁ……」
不意に蒼空を仰ぐと、綿のように白い雲が、風に煽られながら漂っていた。
「……なんか、こうしてると全然ハンターっぽくないね」
ソラは、チラリとレオンを見る。
「……そうだな。今は狩人じゃなくて、釣人だもんな」
「でも、狩猟依頼の無いときは、こうやって過ごすのもいいものよ」
それもそうだね、とソラは相槌を打った。
「それにしても……」レオンは頭を掻いた。「釣れないな」
「場所が悪いのかしらね」
「なら、別の釣り場を探さなきゃダメだね」
諦めて、釣竿を引き上げようとしたその時――
「ん……!?」
何かに感付いたソラの声。全員の視線が、彼女に集まる。
「なんか……コツコツ、って伝わってくるよ」
「おっ、魚信《アタリ》だな。魚が餌を突《つつ》いてるんだよ。魚が食い付いたら、竿をしゃくって釣り上げるんだ」
「う、うん……」
竿を握る手に、自然と力が入る。そして、緊迫した空気が漂う。
――静寂を破ったのは、ウキが沈む音だった。
「!!」
「食い付いた!!」
しかし、ソラの身体は反応できない。
「えっと、ど、どうすればいいの!?」
「なんでもいい、竿を上げろ!!」
釣竿を一気に立てて、牛蒡《ごぼう》抜きする。
その瞬間、光を反射して輝く魚が、水面から湧きあがった。
「わっ」
大きな放物線を描いた魚は、ソラの足下で跳ねていた。
ソラは道糸を掴み、釣り上げた魚をぶら下げる。そして、魚を凝視した。
「ん?……これは、黄金魚?」
彼女は、首を捻った。見るからに、黄金ではない魚だったからだ。
「いや、外道《げどう》だな」
「……ふぅん、【ゲドー】っていう魚なんだ」
「いや、魚の名前じゃなくて……。目的以外の魚のことを、外道っていうんだ」
「あ、てっきり、魚の名前かと……」ソラは、唇の隙間から舌をちらつかせた。「で、この魚はなんていうの?」
「サシミウオよ」ナナが言った。
「なるほど、これがサシミウオかぁ。……で、これ、どうするの?」
レオンは、少し考えた。別に逃がしてもいいのだが、腹も空く頃だ。なら……
「焼いて、昼飯にしてもいいんじゃない?」
サシミウオは、名の通り刺身にして食べるのが一番美味しい。が、焼いても十分に美味なのである。
口に刺さった針を抜いて、サシミウオを魚籠に入れると、ソラは溜め息をついた。
「……またミミズを付けなきゃ、ダメなのかぁ」
そう言いながらも彼女は手を差し伸べてきたので、レオンは、瓶の中から取り出した1匹のミミズを渡した。そして、ソラとミミズとの格闘が開戦する。
少しして、ソラの手の動きが止まった。付けるのが少し早くなったようだったが、先程と変わらず、ミミズは緑色の血液を流しグチャグチャになっていた。
「……うん。やっぱり、なんか難しいね」
「でも、さっきよりは慣れたんじゃないか?」
「うーん……。わかんない」
首を少し捻ってから、彼女は釣竿を振ってミミズを水に沈めると、水面上のウキの動向を見守った。
――魚信は、その直後に来た。魚が少し集まってきているのだろう。
「次こそは……黄金魚、かな……?」唾を呑み込んだ彼女の喉が鳴る。
ウキの振幅が、徐々に大きくなっていく。魚も、徐々に警戒心を解き始めているのだろう。
数回の振動の後、ウキが、水中に吸い込まれた。
「きたっ!!」
瞬時に、ソラは、竿をぐいと引っ張る。すると、竿の先端が大きく|撓《しな》った。
「!!……さ、さっきより引きが強い……!!」
「慌てず、竿を立てて」レオンが、冷静に指示を出す。
ソラは、強張った表情で、「う……うんっ……」と頷いた。
水中に走る道糸は暴走し、水は飛沫をあげて荒れ狂う。しっかり竿を握っていないと、持っていかれそうだ。
「う……ぐっ……!!」ソラは竿を強く握り締めた。「……コレ、絶対に黄金魚だよね!!」
「それは分からないけど、とにかくファイトだ!!」
レオンに励まされ、ソラは奮闘を続ける。
魚が右に逃げると、それに抗うように竿を左方に振るい、左に逃げると右方に振った。
――数十秒ほど、経っただろうか。
突として、竿の撓《しな》りが小さくなった。魚が弱ってきたようだ。
もうそろそろかな、と思ったところで、水面下に黒い魚影が映る。
その瞬間に、ソラは思い切り竿を立て、影を引き抜いた。
「わっ!!」
彼女の叫びと共に、煌めく1匹の魚が、勢いよく水中から飛び出した。
「おわっ!!」
宙に大きな弧を描いた魚は、レオンの腕の中に吸い込まれるように収まった。魚がピチピチと跳ねるので、彼は腕と二の腕で、魚を挟むように持った。
その魚は、陽光を受けきらびやかな金色の輝きを放っている。
「こ……これって……」ソラの胸が高鳴る。「もしかして……!!」
「間違いなく、黄金魚だ!!」
レオンがそう言うと、ソラは、欲しかったものを手に入れたときの子どものようにはしゃぎまわった。
「やった、やったぁ!!」
「流石《さすが》ね」ナナは目を細めた。「黄金魚なんて、そう簡単に釣れるものじゃないわ」
レオンは、魚籠に黄金魚を入れた。「ま、この調子で、釣っていこうか」
「うん!」ソラは、瓶からミミズを取り出すと、釣り針につけ始めた。あまりの嬉しさに、さっきの憎悪など忘れているのだろう。彼女は笑顔で、ミミズと戯れていた。
その光景を見ながら、レオンは腕の防具を鼻に当てた。
「? レオン、どうかしたの?」
「あ、いや。防具が魚臭いから、あとで消臭玉をまぶしておこうと思って」
「消臭玉?」
「うん。消臭玉は、悪臭を放つ液体や気体などを浴びたときに使うと、消臭してくれる便利なアイテムだよ」
「そういえば……」ソラが掌を鼻に当てる。「わたしも、手が臭うなぁ……帰ったら、消臭玉使おうかな」
餌を付け終えた彼女は、汀《みぎわ》に立って、竿を振った。
☆あとがき
モンハンの話じゃなくて、釣りの話になってますね……。
釣り、行きたいなぁ……。
次回で、物語が一区切りする予定です。
区切りのいいところで一旦終わらせないと、完結できなかったときの後味が悪いですからね。←甘え