モンハン小説 『碧空の証』 #16
釣果は、黄金魚2匹とサシミウオ3匹だった。2匹目の黄金魚を釣るまでに、サシミウオが2匹釣れたのだった。
そして、依頼品である黄金魚を納品するために、彼らはエリア6から拠点《ベースキャンプ》へ戻っている。釣りを終えてもなお気絶していたタイガは、ナナに尻尾を掴まれて、引き摺られていた。
ベースキャンプ──。
タル配便サービスを運営する、転がしニャン次郎の姿が、そこにあった。
「おっ、ニャン次郎さん!」と、ソラが声を掛ける。
「ニャ! お疲れ様でありやす!」ニャン次郎は、喉元の鈴を鳴らした。「今回は、あっしが魚を受け取らせていただきやすニャ」
「……あれ? 納品ボックスに入れなくていいの?」ソラが、ベッドの隣にある赤色の箱を指差しながら言った。
赤い箱、すなわち納品ボックスとは、探索などの依頼の際に、ハンターが依頼物を納品するための箱のことである。ボックスに納品されたものは、ギルドの職員によって回収され、依頼人に渡されたり、ギルドが買収したりする。ここユクモ村では、ニャン次郎が運搬の役目を請け負っている。
「今回の依頼物は鮮魚ということで、あっしの“クール配達”を適用させていただきやす」
聞くところによると、“クール配達”というのは、【ベリオロス】の【氷結袋】を利用したものだという。
ベリオロスとは、別称を“氷牙竜《ひょうがりゅう》”という、新大陸極北の凍土地方に生息するモンスターだ。氷結袋はベリオロスの内臓器官であり、その内部には超低温の液体が溜めこまれている。その氷結袋の中にある液体を利用し魚を凍結させることで、鮮度を保ったままの運搬を可能にしているらしい。
「へぇ……」レオンは、腕を組んで頷く。「そんなサービスがあったんだな」
「最近、始まったサービスでありやす。ここのところ、新鮮なままの魚の需要が高まってやすから、そのニーズにお応えするために考案されたようでありやすニャ」
「じゃ、よろしくお願いしまーす」
ソラが黄金魚を2匹、ニャン次郎に手渡すと、彼はそれらを素早くタルに詰め込み、「それじゃあ、ご免くだせぇ!!」と口にしてから、タルの上に乗って、タルを発進させた。
「流石、仕事が早いわね、アイツ……」ナナは、引き摺られてボロボロになったタイガに目を遣った。「あ。ついでに、タイガも連れていってもらうの、忘れてたわ」
「あちゃー。すっかり忘れてたね」とソラ。
「またゴミ箱に入る絶好の機会だったのに……残念だわ」
レオンは、呆れて何も言えなかった。
「そんなことより、お腹空いたよ」ソラは、掌で腹部をさする。
「じゃ、釣りたてのサシミウオ、食べるか」
「うん!」
レオンは、魚籠からサシミウオを3匹取り出すと、水辺のエリア1へ向かった。まず、魚を水洗いすると、剥ぎ取りナイフで体側面を擦り、鱗を取る。そして、腹を切り開き、腸《はらわた》を取り出す。その一連の流れを二度、繰り返すと、拠点《ベースキャンプ》へ戻った。
レオンは、処理を施した魚をソラとナナに渡した。そして、各々魚に串を刺すと、焚き火の側に立てる。
暫くすると、脂が弾ける音と共に、魚の焼ける良い匂いが漂った。
「美味しそう!」
「そろそろいいかな」レオンは、串を取り魚に塩を振り掛けた。そして、二人に串を渡す。
「ありがとう!」
「ありがと」
「それじゃ、いただきまーす!」
ソラが、こんがりと焼き上がった魚を口に運ぼうとした、そのときだ。
倒れているタイガがピクリと動いたかと思うと、彼の瞼がパッチリと開いた。
「ニャ……!?」
タイガは、パッと、立ち上がる。彼の視線は、ソラの持つ焼き魚に定まっていた。そして、口角から涎を垂らしながら、ゆっくりとした足取りで、ソラへ歩み寄る。
「う、美味そうニャ……!!」
「……まったく、食い意地だけは強いのね」ナナは呆れ顔で、お手上げのポーズを取る。「心配しないで、アンタの分は無いわ」
「ニャ!!」タイガは、一瞬、安堵の息を吐く。「……んだと……!?」だが、それは間もなく、落胆の吐息へと変貌した。前半部だけ聞いて安心し、すぐに矛盾に気付いたようである。
「仕方ないよ」ソラが魚を頬張りながら言った。「タイガ、さっきは居なかったようなもんだし」
「……最近、まともにご飯にありつけないことが多くて残念ニャ……」
タイガは、指を咥えて3人を見ているしかなかった。
「まだ、日が暮れるまで時間もあるし……もう一つくらい、依頼を受けてみるか?」村に帰還する途中、レオンがソラに訊いた。
「うーん……」ソラは考える。「……そうだね、受けてみるよ」
「よし」
レオンは、軽く頷くと、僅かに足を速めた。遅れまいと、ソラ達も速度を大きくした。
彼らはユクモ村に戻ると、新たな依頼を受け、再びベースキャンプへ戻った。
――彼らが受けた依頼は、“ガーグァの卵2個の納品”だ。
まず、彼らはエリア1に向かったが、そこにガーグァの姿は無かった。
「そういえば……」ソラが口を開く。「今日は、ここでガーグァを見かけてないね」
「そう言われてみれば……そうだな」レオンは腕を組んだ。「ま、適当にうろついてたら、見つかるだろう。近くにいたら、匂いもするだろうし」
「じゃ、探しに行こー!」
十数分後、彼らはエリア7にいた。エリア7は、清流が流れ込む水辺のエリアだ。域内の大半は、身の丈を超える草で覆われている。
そのエリアで彼らは、3匹のガーグァを視界に捉えた。ガーグァ達は、草に付いた虫たちを啄んでいる。
「よし……」ソラは、顔をレオンの方へ向けた。「じゃ、驚かせて……卵を貰ってくるよ」
「あぁ」レオンは小さく頷いた。「行ってこい」
「ほら、アンタも……」ナナが、タイガの背中を押す。「行きなさい」
「……ニャ、まぁ、驚かすくらいなら、ボクにもできそうニャ」そう言うと彼は、ソラの狙うガーグァとは別のガーグァを標的に定め、近寄って行った。
――ソラは、気配を殺して一匹のガーグァに忍び寄っていた。標的との距離が縮まるごとに、狩りの際とは異なった緊張感が全身を迸《ほとばし》る。
距離は次第に縮まっていくが、まだ気配に気付く様子もなく、ガーグァは呑気に虫を啄んでいた。
彼女は掌を胸の前に構えると、えいっ、という掛け声とともに、その両手をガーグァの尻に突き出した。
「クワァァァァァ――――ッ⁉」
金切り声が、虚空に響く。と同時に、ガーグァは、30センチメートルはありそうな大きな卵を産み落とした。
そして、ほぼ同時刻に、同様の叫びが響いた。先程の叫喚に驚いて、タイガの標的であるガーグァが上げた叫びだった。
直後、「ギャァァァァァァッ!!!!」というタイガの叫び声も耳に入ってきた。
ソラは、その声に反応して、悲鳴が聞こえてきた方向に顔を向けた。すると、狂ったように走り回るタイガの姿が目に飛び込んできた。「……ん?」
「ど、どうしたんだ……?」
「さぁ……?」
3人は、タイガの方へ駆け寄る。その頃には、ガーグァの姿はエリアから完全に消え去っていた。
「あ、あいつ……! 糞《フン》を落としていったニャ……! うげぇぇぇぇぇぇ」
「うわぁ……。タイガ、手に茶色いのが付いてるよ!」とソラ。
「ご、誤解ニャ! こ、これはただの泥ニャ!」
「……タイガ、すごく臭ってくるから、近付かないでくれるか?」とレオン。
「ふ、風評被害ニャッ!!」
「あら……ゴミ箱の次は、肥溜めに埋もれたいのね」とナナ。
「も、もう嫌ニャァァァァァァ――――――――――ッ!!!!!!!!!!」
悲痛の叫びをあげながら、タイガは水際まで疾走する。3人が彼の進行方向に目を遣ったときには、既に水面が爆ぜていた。
数秒して、ずぶ濡れのタイガが、口に含んだ水を吐き出しながら陸に上がってきた。
「……こ、これで文句無いニャ⁉」
「それじゃ、卵をベースキャンプまで運ぼう」
「無視かニャ⁉」
「あ……、タイガは、もう一回ガーグァを驚かせて、卵を採ってから帰ってこいよ」
「も、もう嫌ニャ……」タイガは、憔悴しきったようにがっくりと項垂れた。
「さすがに一人でやれ、ってのも可哀想だから……」レオンは、視線をナナに向けた。「ナナ、タイガに付いてやってくれ」
ナナは小さな溜め息をつくと、わかったわ、とだけ言い、タイガを引き連れてエリアを移動していった。
「それじゃ、卵を運ぼうか」レオンが言うと、ソラは返事をして、地面にぽつんと佇む卵に駆け寄った。そして、腰を下ろして、卵を持ち上げる。
「う……」ずっしりとした感触が腕に食い込む。「け、結構重いなぁ……」
「なら、上体を反らせて腹に乗せるようにすればいいよ」
ソラは、言われた通りにする。「んー……、気持ち、軽くなったかな。……でも、腕が疲れそうだし、途中落とさないか心配だなぁ」
「あ、そうだ……、長時間の運搬は身体に負担をかけるから、最短の運搬ルートの確認をしておこう」レオンは、ポーチから地図を引き出して広げた。「ベースキャンプへの最短ルートは……、エリア4を通って、エリア1、ベースキャンプか」
確認を終えると、彼は落とした視線を上げて、ポーチに地図を仕舞った。「じゃ、行こう」
ソラは頷くと、慎重に歩き始めた。
エリア4――。
短い雑草に覆われたフィールドの所々で、ブルファンゴがたむろしていた。
「あっ……」ソラは思わず、声を漏らした。
「これは……厄介なことになりそうだ」レオンは目を細めた。「なるべく、ブルファンゴの視界に入らないように移動しないと」
ブルファンゴの突進の威力は凄まじい。正面から攻撃を受けた場合、肋骨を何本か持っていかれることもある。最悪、死に至ることもある。また、大きな卵を抱えているソラにとって、ブルファンゴの突進を回避するのは極めて困難なことだ。
これらの危険性《リスク》を踏まえると、迂回するという方法が考えられる。だが、重量のあるものを持って長距離を移動するのは非効率的だ。そして何より、運搬者本人への負担が大きい。疲れ切って卵を落としてしまっては、元も子も無い。
したがって、ブルファンゴの視界に入らないようにしてこのエリアを移動することが、もっとも良い方法なのだ。
彼らは、ブルファンゴに接近しないよう留意しながら、危険な領域を進む。
周囲に目を配り、警戒を絶やさない。
自然と呼吸は浅くなり、心音が全身に響き渡る。
手に汗が滲み、持っている卵を滑らせそうになるが、指先に力を入れてなんとか持ちこたえようとする。
時折、睨まれているような視線を感じたが、それは恐怖からきているものかもしれなかった。
――幸い、どのブルファンゴにも気付かれることもなく、彼らはエリア1へ続く道へと差し掛かろうとする。
「はぁ……」ソラの口から安堵の息が漏れる。「……ドキドキだね」
「あぁ」レオンは頷く。「あと少しだ……」頑張ろう、と言いかけた瞬間、
土を撫ぜる音が、彼らの背後から襲いかかった。
振り返ると、彼らは目を見開いた。
1匹のブルファンゴが、大地を蹴って驀進してきていたからだ。
「え⁉」
「気付かれた!!」
猪突猛進。まさに、その通りの光景が、目の前にある。
回避は無理だ――直感でそう感じ取ったレオンは、背負った大剣の柄に手を伸ばす。
そのまま大剣を引き抜くと、身体の前に刀身を構え、その突進に抗った。
「ぐっ!」
鈍い金属音と感触が、腕と、食い縛った歯を伝い、脳に響く。足を踏ん張っていなければ、確実に吹っ飛ばされていただろう。
鋼の刀身に頭をぶつけた猪《ブルファンゴ》は少しふらついたが、まだ意識はあるようだった。
レオンは、柄を握りしめて大剣を薙ぎ払う。そして、猪と少し距離を置くと、獣の頭部に剣の腹を殴りつけた。
少量の鮮血が爆ぜる。
重量のある武器から繰り出されたその一撃は、ブルファンゴを一瞬で失神させるのに十分な威力であった。
「危機一髪……だな」引っくり返った猪の姿を見下げながら、レオンはゆっくりと大剣を納めた。
「レ、レオン……大丈夫?」ソラは、心配そうな顔をしている。
「うん、問題ないよ」レオンは、右腕をぷらぷらと振ってみせた。「ちょっと腕が痺れてるくらいかな」
「そっか……」ソラは、口元を緩ませた。「よかった」
「でも、気絶させておいただけだし」レオンは、歩き始める。「早く行こう」
「うん。でも……」ソラは視線を落として、再び上げた。「最後まで気を抜いちゃダメだってこと、よく分かったよ」
エリア1――。
小型のモンスターの群れが、水辺のエリア内を彷徨《うろつ》いている。
そのモンスターは、黒を基調とする体毛に覆われたネコのような体躯に、首に巻いたスカーフが特徴の獣人種──メラルーだった。手には、ネコの肉球をかたどったハンマーを持っている。
「これは……」レオンは目を細めた。「まずいな」
「え……、なんでこんなにいるの……?」ソラは、眉間に皺を寄せている。
「さぁ……、それはわからないけど……」レオンは腕を組んだ。「マタタビでもあれば、それを囮にして、メラルーに邪魔されずに運べるんだけどな……」
【マタタビ】は、蔓《つる》性植物の一種。アイルーやメラルー達の大好物であり、 マタタビを吸うと、彼らは酒に酔ったようになる。
マタタビを所持していれば、彼らの狙いは自ずとそれに向く。だが、そうでない場合、泥棒猫《メラルー》達はハンターからモノを盗み去っていってしまう。普段からマタタビを持ち歩いているハンターはいないので、メラルーの盗みに遭ってしまったときは、取っ捕まえて奪い返すしかない。
「ど、どうしたらいいの?」ソラの怯えるような口調。
レオンは少し考えた。彼の考えは、すぐにまとまった。
「うん……、ソラは、ただ運ぶだけでいい。それも、なるべく早くだね。邪魔なメラルーはオレが倒すから、その間に……」そこまで言ったとき、メラルー達は二人の存在に気が付いたらしく、彼らに向かって一斉に駆け出した。「来るぞ! 走れ!」
「うんっ!」
卵を落とさないよう細心の注意を払いながら、ソラは早足で進む。
(お願いだから、こっちに来ないで!)
だが、彼女の願望も虚しく、メラルー達は可愛らしい雄叫びを上げながら彼女に群がっていく。
彼らの狙いは、ソラの持っている卵なのだろう。すべての瞳が、彼女の持っている卵に照準を合わせていた。
彼らはこれを盗んで、どうするつもりなんだろう。いや、今はそんなことを考えている暇はないし、……卵焼き?……違う、今は……目玉焼きかな? そんなことどうでもいい。
無駄な思考を巡らせていると、正面から1匹のメラルーが飛び掛かってきた。
メラルーの跳躍力は凄いもので、数メートル先の目標にも軽々と飛び掛かることができる。これが、モノを盗む上で特化したものなのか、生き残るために必要な進化だったのかは判らない。
「っ!」
ソラの身体は、突然の襲撃に応えることができず、竦《すく》んでしまった。
黒い弾丸が被弾する――
その寸前で、レオンがソラの正面に立ち回り、メラルーに強烈な拳を喰らわせた。初速の大きな一撃を受けた黒い盗人は、悲鳴を上げて宙を舞った。
だが、1匹を討伐したところで状況は変わらない。盗賊団は次々と飛び掛かってくる。
(埒があかない……!)
レオンは、大剣の柄に右手を伸ばしかけて、やめた。
すぐ後ろにはソラがいる。この状態で大剣を振り回せば、彼女に当たってしまい危険だ。また、無駄な殺生をしてはならないという掟もある。だから、ここは、殴る蹴るで凌ぐべきだ――そう判断したからである。
「ソラ、早く行くんだ!」レオンはソラを一瞥して叫んだ。
「わ、わかってるよ!」
口ではそう言いながらも、脳と身体は理解していなかった。
この群れの中をどう掻い潜っていくべきか。その疑問だけが、思考回路を支配しているのに、結論が出ない。
たじろいでいるうちに、別のメラルーがソラの左方向から飛び掛かってきた。
その存在に気が付いたレオンは、足を開いて身体を半時計回りに捻り、遠心力を利用して重い一撃をそのメラルーの腹に喰らわせた。
そのとき、多数のメラルーが、ソラの背後から飛び掛かろうとしているのが確認できた。
「後ろからも来るぞ!」
レオンの声で、ソラはハッとする。
そうだ、この忌々しいメラルーの群れから逃げ出さないと。
彼女は一歩、踏み出した。水飛沫が袴に掛かる。そんなことは気にせず、彼女は水面を蹴って走りだした。重い卵を持っているため、走るという動作には見えないが、今の彼女にとっては全速力にも等しい走りだった。
緩い傾斜の坂に差し掛かる。卵の重量が身体にもたれかかった。
後ろから、にゃあ、という声が幾つも重なって聞こえる。盗賊団はしつこく追跡してきているらしい。また、鈍い音も聞こえる。レオンが、メラルーたちに攻撃を加えているのだろう。
腕には痺れが走っている。掌にはかなりの量の汗。もちろん、全身の皮膚にも汗が滲んでいる。もう、限界が近い。
しかし、卵を降ろすわけにもいかないし、今はこのまま突っ走るしかなかった。
傾斜も終わりかけの頃――、
突然の、膝への衝撃。
「わっ!?」
ソラの身体が、後方に傾く。
まずい、倒れる……! 倒れた衝撃で、卵か割れるかもしれない。それは、全力で阻止しないと!
彼女は足を踏ん張る。が、結局、重力に抗うことはできなかった。
「うっ!」
尻からどすっと着地する……ことはなかった。
柔らかい感触が伝う。同時に、尻が「フギャッ!?」という声を上げた。
「え……?」見ると、メラルーが彼女の尻に押し潰されていた。メラルーは、白目を剥いている。
抱えた卵に目を遣る。ヒビは入っていない。どうやら、このメラルーがクッションとなり、衝撃が和らいだようだ。
忌々しいメラルーのお陰で助かるなんて、なんだか腑に落ちなかったが、今はそんなことどうでもよかった。
ソラは、すぐに立ち上がる。
「大丈夫か!?」レオンが彼女の背後で叫んでいる。
ソラは首を捻って顔だけ後ろを向く。レオンは、メラルーを石ころのように蹴飛ばしているところだった。
「うん、卵は大丈夫っ!」
「あ……、お、おう」レオンは、言葉を詰まらせている。
あれ? もしかして、わたしの心配をしていてくれたのかな?
「あっ、わ、わたしは大丈夫だからっ! じゃ、お先に!」
ソラは向き直ると、ベースキャンプへの道を辿っていった。
――少し進んだところで、レオンはソラに追いついた。
「あらかた片付けておいたよ。たぶん、追ってこないと思う」
「お疲れ様……、あと」ソラは、レオンに微笑みかけた。「ありがとう!」
レオンは、少し照れくさそうにして頷いた。「……あとは、ベースキャンプまで一走りだな」
かくして、彼らはやっとのことで盗人まみれの空間を脱出したのだった。
ベースキャンプ――。
ソラは、赤の納品ボックスの中に卵をゆっくりと下ろした。その直後、彼女の身体を耐え難い疲労感が襲った。
その場に崩れ落ちそうになったが、レオンに支えられ、事なきを得た。「お疲れだな、ソラも」
「う、うん……」急に、心臓の鼓動が速くなってきた。いや、先程まではそう感じていなかっただけで、ずっとそうだったのかもしれない。息は荒く、汗がどっと吹き出てきている。「……卵の運搬だけでも……、一苦労、だね」
「世の中、苦労ばかりだよ」レオンは、ソラの身体をゆっくりと地に降ろした。「でも、そのお陰で達成感は得られるだろう?」
ソラは、確かに、と心の中で頷いた。
苦労があるからこそ、喜びが得られる。それは、ここ最近で学んだことの一つでもある。
「ま……、タイガとナナが帰ってくるまで、ゆっくりしておこう」そう言うと、レオンはソラの隣に腰を下ろした。
タイガとナナが戻ってきたのは、それから半時間後のことだった。
タイガは、頭の上に卵を掲げ、全身で息をしている。
「おっ、おかえりーっ」ソラは、明るい声で彼らを迎える。
「し、死ぬかと思ったニャ……!!」窶《やつ》れた顔でタイガは言うと、納品ボックスに卵を納めた。
「随分と時間がかかったんだな」とレオン。
「えぇ」頷くナナも、疲れきった表情だ。「ガーグァの卵はあのあと簡単に手に入ったんだけど、運搬の途中、ブルファンゴに追われてばかりで時間がかかったのよ。……なんとか逃げ切れたから良かったわ」
「ブルファンゴは……こわかっただろうね」ソラは苦笑を浮かべた。「でも、メラルーの群れもこわかったなぁ……。ねぇ、レオン?」
「あいつらは数で勝負だからな……」レオンは、座ったまま腕を組む。「でも、ブルファンゴの方が脅威だから、これからはそっちに気を付けた方がいいかもしれない」
「もう、ブルファンゴには遭遇したくないニャ……」地面に仰向けに倒れた姿勢のままのタイガが呟く。
「そう思うのが普通だろうね。……よし、依頼は達成できたから」レオンは立ち上がった。「村へ戻ろうか」
「うんっ!」威勢よく、ソラも立ち上がる。
倒れていたタイガも、ふらつきながら身体を起こした。
そして、一行は渓流に背を向け、歩き始めた。
「そういえば、思ったんだけど」村とベースキャンプとを繋ぐ道の3分の1ほど来たところで、レオンが口を開いた。「ソラは、体力的な問題があるよな」
「え、あ……」ソラは、少し俯く。「まぁ……、そうなのかな?」
「最初、ガーグァを討伐するときにここに走って来ただろ?」
「うん」
「そのときも、息が上がってたよな」
「あー……」ソラは視線を上方に遣り、思い出しているフリをする。「そうだったかな」
「それで、提案があるんだ」
「え、何?」
「走り込んだらどうかな、って」 レオンは、ソラに顔を見せてから、そう口にした。
走ることで、心肺機能を強化したり、スタミナを増幅させたりするのが目的だ。
「うーん……、どうしようかな?」
「ハンターは身体が資本だ、って前に言ったよな?」
レオンが言うと、ソラは間髪を入れずに頷く。
「なら、鍛えないと」
少し間をおいて、「じゃ、明日から頑張るよ!」と彼女は言った。
「――いや、今からだ」レオンは、彼女の言葉を即否定する。「思い立ったときから物事を始めることが、大切なんだ」そこまで言うと、彼は唐突に走り出した。
「え、ち、ちょっ」ソラは、困惑した様子で、足を止めた。だが、すぐに彼女も駆け出した。「ま、待ってよ!!」
「……ニャ? これは、ボクらも走らないといけない感じかニャ?」
「そのようね」
そんな会話を交わし、タイガとナナも走り出す。
――山の陰に隠れようとする太陽を追うように、彼らは走った。
走りながら、レオンは様々な考えを馳せていた。
――まだ出会って3日だが、ソラは 、ハンターとしてかなり成長してきたように思う。まだまだ伸び代もある。たくさんの経験を積んで、立派になって欲しい。
……いや、考えてみれば、自分もまだまだ未熟だ。経験も、知識も浅く、乏しい。だからこそ、これまで以上に知識を蓄え、たくさんの経験をしなければいけない。ハンターとして生き残るために、これは肝心なことだ。
立ち止まらず、絶えず一直線に走り続けることで、日々精進することができる。目標を見失うことなく、限りなく自分を高めることができる。
でも。
彼は、ふと立ち止まり、振り返る。必死に自分を追うソラ、タイガ、ナナの姿が網膜に映った。皆、良い表情をしている。
たまには立ち止まって、走ってきた道を見つめ直してみてもいいのではないか。初心に帰ることもできるのではないか。そうすることで、自分が目指すべき道、駆けてゆく道を改めて確かめることができるのではないか。
彼は向き直り、また駆け出す。顔を撫ぜる風が、妙に心地良い。
新たな出会いは、新たな物語を紡いでいく。
そう、オレ達の狩猟生活《ハンターライフ》は、まだ始まったばかりだ。
★あとがき
ここで、第1章の終わりです。
というか、まぁ区切りが良いところでいったん終わっておきます。
これから忙しくなりそうなので……。
とりあえず、続きも執筆していますが、投稿がいつになるかはわかりません。
夏……までには投稿したいですね。
ではでは。